※この記事は、長久允監督 映画『炎上』のネタバレを含みます。

いつものようにInstagramを何気なく流し見していると、アルゴリズムがみつけてきた映像がおもむろに目がとまった。
不気味さの中にキラキラした甘いものが混ざったようなBGMの中で、ナレーションが流れる。

歌舞伎町炎上。死者数不明。犯人は10代の女性。結末はもう、知っての通り。あなたは知りたい?どうして私が火をつけたのか。
――映画の予告映像より

ポスタービジュアルはピンク色の仄暗い明かりに照らされた主演の森七菜さんの顔のアップ。その顔にはキラキラしたラメのようなものが一面に塗され、表情は悲しいのか感動しているのか恍惚としているのかいまいち掴みきれない。
炎のような、刺繍のような中抜きの文字でタイトルの「炎上」大きく配置され、ポスター下部には「ふざけてないと死んじゃうし🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥」というコピー。
あ、この映画観よう。と思い立ち公開されて割とすぐに、この内容であればと新宿のテアトルで観ることにした。

壮絶な厳しさを感じさせるストーリーだったが、主演の森七菜さんはもちろん、アオイヤマダさん、一ノ瀬ワタルさんなど主要キャストの演技も素晴らしく、(特に、一ノ瀬ワタルさんの気持ち悪りぃ大人の演技が完璧でした。)映像も音楽も美しさと生々しさが同居し、総じて良い映画だったと感じた。
映画の感想をもう少し丁寧に書きたいところではあるが、このメディアとしては題材となる「トー横」についてフォーカスして記事を書くほうが良さそう。そのため、今回は当作品を通じて「トー横」について生煮えな思いをめぐらせてみようと思う。

映画『炎上』あらすじ

カルト宗教信者の家に生まれた樹里恵は、妹とともに厳格に教育されて育つ。暴力を振るう父がいなくなるよう、樹里恵は毎晩神様にお祈りをしていた。数年後、願いが叶い父は亡くなるが、今度は母から暴力を受けるようになる。耐えかねた樹里恵は妹を残して家を飛び出す。SNSで繋がった「KAMI」と呼ばれる男を頼りに、若者たちが集まる歌舞伎町の広場にたどり着く。吃音症のある樹里恵はそこで「じゅじゅ」という名前と寝る場所、食べ物、スマホ、仕事をもらう。初めて知る世界でさまざまな人たちとの出会いを経て、母のもとに置いてきた妹を連れ出して一緒に暮らすという夢を持つが……。

トー横キッズ、トー横界隈について

まず、トー横キッズ及びトー横界隈という存在について改めて確認しておく。

以下Wikipedia「トー横キッズ」より引用

概要
トー横キッズ(トーよこキッズ)とは、東京都新宿区歌舞伎町の新宿東宝ビル周辺の路地裏に集まる若者や学生たちによるコミュニティのことである。「トー横」とは「新宿東宝ビルの横」を略したもので、元来は東宝ビル東側の路地のことを指したが、語義が拡大され、西側のシネシティ広場なども含めた東宝ビル周辺一帯を指す場合もある。

歴史
2015年に、新宿東宝ビル(TOHOシネマズ新宿)が開業した。その後2018年頃より、自撮りを行う東京都内の学生たちがこの周辺に増え始め、彼らは「自撮り界隈」を自称し始めた。未成年も含む学生が多く集まっていたことから、周辺の居酒屋や性風俗店やキャバクラで働く女性たちが学生たちを「トー横キッズ」と呼び始めた。しかし彼らは「キッズ」と呼ばれることに抵抗し、2019年9月頃から「トー横界隈」と名乗りだした。その後は無名の存在であったが、2021年頃に界隈を狙った犯罪行為や誹謗中傷の被害が問題化したことから一躍注目を浴びることになった。

私は2023年ごろからトー横及びそこにいる若者について関心を抱くようになり、主にインターネットを通じて情報を得ていた。
一般的に彼らは主に10代〜20代前半くらいの若者である事が多く、家に居場所がない、学校や社会に馴染めないなど、何かしらの背景を持つ場合が多いとされる。
基本的には新宿東宝ビル及びシネシティ広場を中心とする「たまり場」のようなコミュニティであるが、その中には未成年飲酒や薬物のオーバードーズ(大量摂取)、違法行為などに手を染めるケースも存在している。また、トー横に集う未成年を含む若者が歌舞伎町周辺で自死する事件も発生しており、深刻な社会課題として取り上げられることも少なくない。
その他、「トー横」ではなく当人達は「歌舞伎民」と自称している場合があるなど界隈に属する人の独特な語彙や、「カスタマ行こや」と彼らが度々口にする歌舞伎町の漫画喫茶「カスタマカフェ」など、象徴的な場所やカルチャーが複数存在し、現在進行形で変化を続けている。

身体に刻まれた関係性の文法

上記のようにトー横に集う若者は、危険な行動に手を染める場合も多く、さまざまな犯罪に巻き込まれるリスクも低くない。また、SNSなどを通じて「炎上」し、誹謗中傷やデジタルタトゥーによる周縁化の標的になる事も多い。
ではなぜ若者は、それでも他の場所ではなくトー横を目指すのだろうか。
私はあくまでトー横の外の人間であり、本当のところは分からない。
その上で一つの手掛かりになるかもしれないと考えたのは以下の動画である。

参照動画(YouTube)

これによると、フランスの社会学者ブルデューが「ハビトゥス」と呼ぶ身体に刻まれた社会の文法が、それがたとえ不条理なものであろうとも彼らを昔から慣れ親しんだ構造、つまり「知っている地獄」に深く囲い込んでしまうというのだ。
また、このような特性はトー横界隈など特定の人に限ったものではなく、広く多くの人に備わった脳の構造に関連しているという。対峙する環境が異なるだけで、トー横の外にいる私たちも他人事ではないのだ。

また、体に深く刻まれる文法について「地元」という視座から理解を深める事ができる資料として、『ヤンキーと地元』(打越正行)を挙げたい。

同著は社会学者である筆者が沖縄のヤンキーの若者たちに対する10年以上の参与観察を元に記された調査の記録である。筆者は、調査初期には暴走族のパシリから始めて信頼関係を築き、彼らの主たる就職先である建設業界で実際に働きながら調査を行った。

同著の中に「しーじゃ(先輩)」と「うっとぅ(後輩)」という関係性が紹介されている。

地元の中学を卒業したうっとぅたちは、しーじゃたちのいる建設会社で働くのが当たり前となっていた。建設業における職種は土木、型枠大工、鳶、佐官、鉄筋と多様だが、どの職種にするかは、うっとぅの適性ではなく、しーじゃがどこで働いているかで、ほぼ自動的に決まっていた。
〔中略〕
しーじゃからすると、地元のうっとぅは使いやすい働き手であった。建設現場だけでなく、平日の深夜や週末のプライベートな時間でも、さまざまな雑用を引き受けさせられるのが、地元のうっとぅという存在だった。なかでも、無職であったり、職業がなかなか定まらないような地元のうっとぅは、しーじゃたちによって地元社会の中に囲い込まれていた。
10代の頃にしーじゃの雑用係をすることは、地元社会では特別なことではなく、多くのしーじゃが経験してきた道だった。うっとぅにしても、下積み時代における雑用係は当然のこととして受け入れてきた。
〔中略〕
このように、しーじゃとうっとぅの関係は、沖縄の下層の若者たちの生活と仕事の基盤をなすものである。それは生活全体を貫き、支配的で、暴力を含む過酷なものだが、彼らの主たる就職先である建設会社にとっても都合のいいものであった。
――『ヤンキーと地元』より

この通り、この上下関係は時に暴力を伴うほど厳しいものにも関わらず、心理的にも社会構造的にも非常に強い結びつきを持つ事がわかる。そしてまたうっとぅの方も、自らの後輩を同じように使うようになり、同様の関係が絶え間なく再生産されていく。

暴力などによる強い力の不均衡によって身体に刻み込まれた社会の文法が、いかに根強く、抜け出しにくいものであるかがうかがえる。

じゅじゅにとっての「炎上」とは

さて、だいぶ回り道をした気もするが、じゅじゅにとって「歌舞伎町炎上」とはなんだったのだろう。
ここからは鑑賞者の一考察にすぎないが、この事件で亡くなった人はいなかったのではないか。
予告編にもある通り、この放火事件は「死者数不明」とある。現代の日本、しかも都市部で死者数を特定できないパターンなど殆どないのではないか。
もちろん、死者は大量に出たが、あのナレーションは事件の後じゅじゅが目を覚ました直後の回想だったため、死者数が不明だっただけという可能性も否定できない。
しかし事件の後、目を覚ましたじゅじゅに女性警察がかけた言葉が「生きてるよ、よく頑張ったね」という旨の言葉だった(具体的なセリフ等は記憶が曖昧なため、確認でき次第加筆修正予定)事からも、放火事件で大量に人を殺してしまった状況とは少し考えにくい。
断定はできないが、じゅじゅは自分に火をつけた可能性が高いのではないか、と思う。

全てを燃やし尽くして再生する?

じゅじゅは事件を起こす直前、深い絶望感を感じていた。そのため、映画を鑑賞した際はその絶望感から全てを無にして、自分の人生も終わらせてしまいたいという思いから火をつけたのだと思っていた。
しかし、それだけではなく同時に「炎上」するという圧倒的なエネルギーを持って自らの身体に深く刻まれた文法を燃やし尽くしたかったのではないか。

作中ではトー横に集う子ども達はしばしばチャットで🔥の絵文字を送り合っている、という描写がある。確か、テンションが上がった時や生きている!と感じた時に炎の絵文字を送り合うというものだったはずだ。

「炎上」。つまり🔥とは、生きている事を実感できる強いエネルギーであり、だからこそじゅじゅは燃えることを選んだのかもしれない。それは、生きることを諦めたのではなく、懸命に生きようとした末の行動だったのではないか。
歴史上、大きな災害や戦争などのショックで既存の仕組みが一度壊れ、結果的に新しい制度や文化、技術が生まれる事は多い。
もちろんそこには生き残った人が苦労しながら再設計する事を求められる構造がついて回るが、彼女は自分の中でその「破壊と創造」をどこかで望んでいたのかもしれない。
根拠はなくともエンディングテーマの『炎上』(窓辺リカ)を聴くとなんとなくそんな気持ちになる。興味があればぜひ聴いてみてほしい。

じゅじゅは奇跡的に一命を取り留めた。全てを燃やし尽くしたその先に、彼女の再生がある事を願いたい。

おわりに 人生の分岐地点

作品について、SNS上ではかつてトー横にいたとみられるユーザーから「人生の分岐地点がみえてくる」といった声が上がっている。
そういった声からも、じゅじゅが起こした「炎上」は、猛烈に命を燃やした人生の分岐点だったのかもしれないと思う。

一方で「炎上」に限らず、当事者の自己破壊的な行為によって身体に刻まれた文法の消去を試みる以外の選択肢を増やし、選ぶことができる構造がもっと必要だと感じる。その点にあたり実際にどうすればよいのかは結論が出ないが、これからも周囲の人と対話を重ねながら考えていきたい。

映画を鑑賞する前に、トー横周辺を歩き回ってみた。昼間という時間帯もあったかもしれないが、気候的に比較的過ごしやすい季節であるにも関わらず、シネシティ広場などのトー横の中心部とされる場所に若者はほとんど見つけられなかった。
シネシティの前には、高層階に高級ホテルなどが入る「歌舞伎町タワー」が建っており、多くの外国人観光客で賑わっていた。
トー横も、分岐点を迎えているのかもしれない。