ここ数年、やたら「スピ」を近くに感じる。

それは勿論スピリチュアルを表す言葉だが、「スピ界隈」とか「スピってる」とか、「スピ」だけで伝わるフランクな言葉になりつつある。私の身の回りでもスピを自認して「私スピってるから」と言いながら、浄化アイテムを持ち歩いたりお参りに行く女性が増えてきた。

これは私の周りだけか?はたまた年齢の問題か?と思っていたが、それが社会の流れであることを「おいせさん」ブームで確信した。

おいせさん」とはお浄め塩スプレーでローズマリーやラベンダーなどの香りがついていて、気になるところに吹きかけるという浄化アイテム。天日塩が入っていること以上に特別な成分が含まれているわけではないが、厄払いの風習を手軽に取り込むことができる。

「仕事で嫌なことがあった時に使用したらモヤモヤが晴れた」「家族の喧嘩が減った」「縁切りに効果があった」などという口コミで人気になり、しばらく品切れ状態が続いていた。

縁切り神社や縁結びの神社が人気になったり、こういうのもスピリチュアルなのか?

我々non-titleチームメンバーは、人々がなぜスピリチュアルに惹かれるのかを探求することにした。

「スピ」とは何を指しているのか?

スピ、スピリチュアルと言っても、チャクラ、宇宙エネルギーいわゆるスピリチュアルを想像するようなものから、先ほどあげたようなおいせさん、縁切り神社も含めるとなると幅広い。

ちなみに、Chat GPTの定義は以下の通り。

大前提として、スピリチュアルとは目に見えない精神性や感性に対する考え方や感覚であることとして、日頃我々は何をスピリチュアルだと認識しているのか、チームで挙げていくことにした。

先ほど挙げたおいせさんの似た路線では、パロサントやセージを焚いて悪い気を流すことが少し前から若者の間で流行っており、日常的に使う人もいる。

また、縁切り神社がスピに該当するのであれば、「お礼参り」や「げん担ぎ」はスピリチュアルなのだろうか?お参りを定期的に行っているメンバーによると、強く効果を期待する気持ちはないが、少なからず何かにあやかりたいという気持ちはあるという。「何か」に力を感じるのであればそれは「神聖なものへの感受性」でありスピリチュアルに該当すると考えられる。

そういう意味だとルーティーン的に行われている「お墓参り」はスピリチュアルな行為である認識はなかったが、行かないとバチが当たる気がする、という気持ちがあるとすると少なからず精神的な行動とすればスピリチュアルに当てはまるか、という結論に至った。

また、1つ話題に挙がったのがイルカエッセンス。これは数年前にコスメキッチンで販売されたものを見かけたことがあったもの。フラワーエッセンスが原料で、商品ページには肉体・感情・スピリチュアル、あらゆるレベルで強力に浄化してくれるものだそう。直接飲んだり、お風呂に垂らしたり化粧品に混ぜたり、使い方は様々。

強力なパッケージビジュアルと商品ページの文言に私たちは「Oh…スピ…」と圧倒されてしまった。これは紛れもなくスピリチュアルと認識が一致した。

そんなことから、スピリチュアルにはよく使われる言葉がある話になった。

「エネルギー」「宇宙」「チャクラ」「創造主」「氣」や「和多志」。

ここで気づいた面白い点としては、スピリチュアルは科学を超えた世界の表現だと思っていたが、「量子力学」や「宇宙物理学」など科学的根拠を示す傾向があること。スピリチュアルは精神性・内面の考え方・感覚であるにもかかわらず、科学と紐づけて語られることがある。

この点は少し調べると、1960〜70年代にアメリカで流行った「ニューエイジ思想」という宗教的運動の中で、「量子神秘主義」という思想が生まれたことが事の発端と考えられる。

量子神秘主義とは、東洋思想(禅・ヨーガ・タオイズムなど)と西洋科学を結びつけようとする動きで、精神世界を量子力学で証明する試みであった。

この考えが広まり、あくまで「試み」であったことが、認識としてスピリチュアルは量子力学で証明できるという考え方に変わっていったのではないか、というのが推測である。

参考:https://note.com/ayaka_kk/n/n9c537e4cf1e9

スピリチュアルとオカルトの違いは何か?

ここでスピリチュアルと近しいオカルトとの違いについても触れておこう。 ここでまた、Chat GPTの定義を引用する。

スピリチュアルが人々の内面に注目している一方でオカルトは超自然的な現象、いわゆる自分ではない何かの説明不能なことに注目している点で大きく異なる。

昨今話題になった7/5の大災難も精神ではなく、外部である現象を指していることからオカルトに分類される。

スピリチュアルの強弱

このように何がスピリチュアルなのか?という話題だけでもさまざまな事象が上がってきた。 しかし、我々の共通認識として上がってきたもののスピリチュアルの度合いの強弱があるため、1軸で整理してみた。

エネルギーや創造主、氣より右側にあるものは例えば5年前でもスピリチュアルとして認識されていたような気がする。最近やたら耳にする「スピ」の意味合いでは、そこから左側のライトスピに近しいものを指していることが多く、「スピリチュアル」という言葉の意味が広がってきていることがわかる。

言葉の意味が広がった経緯は、シンプルにインターネット・SNSの普及によりスピリチュアルに傾倒している人々の話や思想が目に触れるようになったことが大きいように思う。 それを面白おかしく取り上げてエンタメとして消化している節もあるが、そこからハマるようになる人が増えてきたのでは、というのが簡単な考察である。

本当にそれだけなのか? もう少し深ぼって考察するために、なぜ人々スピリチュアルという精神や魂といった内面的なものに惹かれるのかを考えてみた。

なぜ人々がスピリチュアルを欲しているのか?

こと日本社会のスピリチュアルに対する態度として宗教観と科学技術の発達が紐づくという1つの仮説が出た。

1つ起点となると考えたのは、オウム真理教。あの事件から、日本では宗教の怖さを学び、元々無宗教の文化があったが、事件をきっかけにさらに宗教観が薄れていったのではないかと思う。 しかし、その事件も30年前の出来事であり、時を経て宗教や精神性を人々が求める揺り戻しが起きているとも考えられる。

また、その中で科学技術が発達し、ネット社会になったことも大きな要因と考える。あらゆるものが科学で証明され、人々はそれに簡単にアクセスできるようになった。今まで迷信などまことしやかに信じられてきたものは科学的根拠をもとに排除されてきた。合理性が正であるし安心で確実とされているものの、そこで排除されてしまった不確かさを人々は求めているのではないか?

やはり合理性だけでは人は生きられず、物足りなく、神秘的で謎に満ちたもの、目に見えないものに魅力を感じ、求める風潮がある。 その向け先が自分になる場合にスピリチュアル、時代や社会に向かうとオカルトを求めるのではないか。

私たちは、「こうあるべき」という社会のルール・常識やこうやって生きることが成功であるという価値観となる「大文字の他者」を強く意識しながら生きている。それは秩序であり、科学や合理性の上に成り立っている価値観であるが、その世界では評価されない、劣っているとされる「敗者である」と自覚した人々が、自分たちの行動・思想を正当化するために世の合理性から逸脱した「精神世界」や「神秘」を頼っているのではないか、という結論に至った。

私たちメンバーの中にスピリチュアルに深く陶酔しているメンバーはおらず、どちらかというと引いた目でみている節はあったが、そういう意味ではスピリチュアルは敗者を救済していると思うと、人々を救う価値のあるものだと思えてきた。

昨今のライトスピについてはなぜ流行っているのか?

ここで改めて昨今のライトスピに人々がなぜ振り向いているのか、改めて考えてみたい。

先ほど例に挙げたおいせさんやパロサント、セージは、香りがあるということが大きな意味を持っていると考えられる。香りが体内に入ってくることで身体性を伴う体験になる。 これは効能やご利益を感じながら利用することももちろんあるが、おおよそは「切り替え」という行為なのではないか。朝に焚くとか、嫌な気分を払拭するとか、行為をすることで切り替える。いわば儀式的な文脈が強い気がする。 効果や効能があるとは本気では思っていないが、そうやって信じて行動するだけで何か自分の生活にリズムがついて、良いように歩める気がする、といったところか。

私の友人は、自身が「スピってきている」と認識していて、神社巡りにハマっている。スピだと思いながら信じて神社でお参りする行為は「ポジティブになれるので好き」と言っていた。それは神聖さを感じつつも「ポジティブになれる」「変わった気がする」というマインドチェンジを無意識的に行っているようにも聞こえた。 ただし、「ハマりすぎては良くない」という意識は強いため、何かものを買ったり持ち歩いたりするところまでは踏み出さない、と言っていた。

スピリチュアルといういわば遠巻きに見ると「アウト」な世界とのギリギリのラインに踏み込みながらよく分からない精神世界に足を突っ込み、「これもこれで楽しい、幸せだと思える」という危うさを楽しんでいるようにも見える。

終わりに

この記事をカフェで執筆していると、隣のテーブルから「チャクラ」「エネルギー」「波動」「潜在意識」みたいな言葉が聞こえてきた。まさしくスピリチュアルの勧誘が行われていた。

「人々はなぜスピるのか」とデカデカとスクリーンに写して、記事を隣で書いている私にも声がかけられるのでは、と少しヒヤヒヤしたものの、こんなことあるのかと興奮気味に盗み聞きしてしまった。

やはり、お墓は大事にする、という発言があったり、勧誘していると思われる男の人はしきりメモを書いて説明しているのが、いかにも科学的・論理的であると示している様だった。我々の考察も所作に散りばめられているような気がする。

そんな話を少し聞いているだけでも段々居心地が悪くなってきたので、私はスピリチュアルについてこれだけ調査して深く考えても一線を引いて見ているし、このシチュエーションを「面白い」と感じてしまっていることもやはりスピをエンタメとしてみているのだなと実感したのだった。