私が大学生の頃の就職試験といえば、手書きの履歴書にアルバイト、インターン、サークル、ボランティア活動などを並べ、最後に「キャッチコピー」をつけるのが流行っていた。いかに自分が人と違う経験をしてきたかを一言でまとめることが求められ、学校の就職支援センターではさまざまな自己分析ツールが紹介されていた。でも「なぜキャッチコピーなのか」については誰も説明してくれなかった。
あれから10年以上。最近の就職活動では、MBTIを聞かれることがあるらしい。MBTIは性格を16タイプに分類する心理検査で、いまではオンラインで手軽に受けられることから一気に広まった。キャッチコピーに頭を抱えた世代からすると、「診断結果を書けばいいだけなんて、ずいぶん楽になったな」と思わなくもない。けれど——本当にそれでいいのだろうか。
目新しさを求めて増え続けるラベルや名付け
どちらの場合も「自分をどう名付けるか」という問いに直面している点では同じだ。けれど、この十数年でラベルや名付けの扱い方は大きく変わった。
「HSPだから」「ADHDっぽいから」といった診断名は、以前よりも日常的に会話に出てくるようになり、自分を説明する便利なタグになっている。SNSでは「〇〇界隈」「〇〇芸人」といった呼び方が定着し、誰かを、あるいは自分自身をカテゴリーで示すことが当たり前になった。
今回、Non-title(仮)メンバーで話し合ったのは、まさにこの「診断・名付け・フレームワーク化」という現象についてだ。
なぜこれほど名付けやラベルが浸透したのか。そこにどんな意味や力があるのか。
結論を出すことよりも、雑談を通して浮かび上がった"ひっかかり"や"面白い視点"をここに記録しておきたい。
ギャルはブラックホール?
今回の議論で、発端となったのは「ギャル」だった。
いつのまにか「ギャル」は外見だけを指すのではなく、態度や生き方そのものを示すようになり"ギャルマインド"と呼ばれるようになった。定義しようとすると曖昧なのに、なぜか「あの感じ」は誰もが共有できる。不思議な存在だ。
しかし、「ギャル」は曖昧だからこそ、ブラックホールのように他の概念を飲み込むことができる。ここに2つの特徴がありそうだと考えた。ひとつは包摂。細かいことは置いといて、細分化した属性をまるっと受け止めてしまう器の広さがある。もうひとつは自称性。「うちらギャルだから」と名乗るとき、それは体系立てられた型を称するのとは違い、有機的に変化する"態度の選択"に近い。
細かく分かれたラベルが乱立するいまの社会で、ギャルだけが境界を溶かし、統合してしまう。その在り方は、他の名付けとどう違うのだろう。
枠に収まる安心感と境界線を引くことの両義性
一方で、多くのラベルは境界を立てる方向に働いている。
例えば「ADHDっぽいから忘れ物が多いんだよね」——そんなふうに自分につけるラベルは、ある種の安心をもたらす。ときに免罪符のように働き、完璧でない自分を肯定してくれる。
反対に、他者を「〇〇系」と一括りにラベル付けするとき、それは共感を示すこともあれば、相手との差をくっきりさせたい気持ちが透けて見えることもある。境界線をスパっと引くのはわかりやすく気持ちがいい一方で、極端な対立構造をつくりやすい。
ラベルは「安心」をもたらす一方で「攻撃」にもなる。境界を引くことは気持ちがいいが、同時に分断も生む。こうした名付けの作用を象徴する例として「界隈」という言葉も使われるようになった。「界隈」とは元は地理的な範囲を示す言葉だが、いまではSNS上で趣味やスタイルを共有する緩やかな共同体を指すようになった。ラベルが人をつなげたり境界づけたりする仕組みの一端として作用している。
名付けやラベルには、「拠り所」と「差異化」という真逆の欲求が込められている。だからこそ便利でありながら、どこか厄介な存在でもある。
無限に増える〇〇デザイナーという肩書き
ギャルのように定義が曖昧で周囲を飲み込むタイプのラベルがないかと考えてみると、「〇〇デザイナー」という職掌が近いのではないかと感じた。
しかし、実際に「デザイナー」として生計を立てているメンバーは「UXデザイナー」と名乗ることには複雑な気持ちがあると言う。そのラベルが曖昧だからこそ便利なシーンもあれば、誤解を生むこともあるので、慎重に使い分けているという。「グラフィックデザイナー」「UIデザイナー」など、肩書きは単なる職種説明ではなく、社会的な位置づけや責任を伴う。からこそ誇りと同時に違和感も生む。名付けが「社会からどう見られるか」を強く意識させるのは、このタイプのラベルならではだろう。職業ラベルは、自己表現と社会的役割の両方を同時に背負うものなのだ。
「〇〇ハラスメント」の氾濫
毛色の異なるラベリングの例として「〇〇ハラスメント」も挙げられた。見えにくかった問題を言語化し、可視化する力を持っている一方で、敵と味方を二極化させ、社会の分断を強める作用もある。
SNSで不満が共有されやすくなった時代だからこそ、こうしたラベルが次々と生まれているのかもしれない。
なぜラベルを作り、使い続けるのか?
ここまで様々なラベリングの例を見てきたが、改めて2つの軸で整理してみる。ひとつめは、包摂(境界を溶かす/広げる) ⇔ 分節(境界を立てる)。もうひとつは、自称(自ら採用する) ⇔ 他称(外から運用される)。

上の図のように整理してみると、包摂型にあたるのは「ギャル」だけで、境界を溶かすタイプのラベル・名付けの特異さが浮かび上がり、雑談の発端となった「ギャル」というラベルに感じた不思議さに戻る結果となった。
結論は出なかったが、問いは残った。ブラックホールのように境界を溶かす名付けと、境界を立てる名付けは何が違うのか。名付けは人を固定する「名詞」なのか、それとも態度を示す「動詞」なのか。
無数のラベルをどう扱うかは、私自身の日々の態度にも跳ね返ってくる。だからこそ、自分がどんな名付けを選び取りたいのか、一度立ち止まって考えてみるのもいいのではないだろうか。
議論というより更に広げるだけの話でアレですが、攻撃性のある略語ラベルが好きです。バカにする意図で使われることが多いですが、たまに自虐としても登場する。